寂しくて入ったVCは
寂しくて入ったVCは
その日の私の寂しさを埋めることがある代わりに
VCによってもたらされる新たな寂しさを後々もたらしてくる。
VCでみんなとうまく話せなくて寂しくて
柚子に頼ってDMを続けたことも
同じように後々寂しさを返されることとなった。
彼に頼って逃げた寂しさの数だけ
大きくなって帰って来た、寂しさ。
団員と仲良くなったことで生まれる寂しさ、
柚子を頼るようになって生まれる寂しさ、
自分なんかみんなから嫌われてるんじゃないかという自信のなさ、不安。
そんな想いから逃げたくてVCやTwitterに行っても
後で返ってくるので
ネガティブな感情は自分で大切に抱いて一人で泣くのがいいのかもしれない。
そしてそんな心の闇を抱えた人は
私以外にも今の時代たくさんいて、自分を「普通の健全な闇のない良識人」だと思い、あるいはそう演じてる人がたくさんいるということ。
闇は惹かれ合うし、揉め事になるということ。
そして何より
DMやVCはストレスの溜まりやすい欠落したコミュニケーションツールだということ。
直接会って話すときの人の、
声や、目や、空気、目に見えない沢山の何か。
それらがあるだけで、言葉を柔らかく包むクッションとなって相手の心に届くので、VCや特にDMと比べると発生するトラブル率は格段に低くなるように思う。
私もDMに頼り過ぎてしまった。
欠落したツールのDMやTwitterやVCを通してその人の愛や正義や常識を測るのは、ザルで水を測るくらい乱暴で、
私の自信のなさから来る人間不信曇りメガネが強く発動し過ぎるので、あまりに危ない。
例えば職場の人同士のように、もしも柚子とも団の人とも、直接会って話せる関係だったなら、こんなには拗れなかった自信があるというのは、自惚れかな?