グラブルを過度に続けられた理由は
「寂しい」と言って泣いたことがたくさんあった。
このブログはその跡に満ちている。
私がグラブルにハマっていったのは、自分の中の大きな寂しさの穴に過度なプレイ時間を求めるそのゲームがピタリとハマったからだ。
よっつめの団が解散した後もそのDiscordには毎日人が集まる。元団員達は今も仲良しで、私も彼らが好き。
何をどこまでここに書いたかもハッキリ記憶してないけど、あの日向さんとは今は友達で仲良くしていて、元団長は私の恋人になった。
みんなといるうちに「寂しさ」というものを感じる機会が減って、元団長が恋人になった頃にはスッカリ「寂しさ」というものを忘れていた。
「〜がいない寂しさ」という原因のハッキリしたそれは今もあるけど、自分そのものの深い孤独みたいなものを感じなくなった。
恋人がいる時期の方が感じる「寂しさ」や、どこか出かけるときに電車に乗ったときに現れる正体のわからない「寂しさ」。
どうしようもなく深い「寂しさ」。
それらをあまり感じなくなった。
むしろ今は満たされてお腹がいっぱいだ。
恋人を始めとした誰かの暖かさをいつも感じられる。
かつてはグラブルがなければ人と繋がれなかった。グラブルという「橋」があってもうまく繋がれずに泣いてた。
だけどもうグラブルがなくても繋がれる人がたくさんいる。
グラブルのモチベが下がっている理由はゲーム性にもあるが、必死にプレイしてみんなについていかなければならないほどの「孤独」が今の私にはなくなった。
一日中走らなくてもういい。
毎日何時間も単純周回作業をして誰よりも強い数字を出さなくてもういい。そうしなければ愛してくれない人に私の大事な時間を使わなくていい。
誰かといるためにしたくないことをしなくてももういいのだ。
孤独がないからブログも頻度が減った。
孤独にならなければ、いつも誰か他人の言葉を見聞きしていては、自分の奥からの声は出てこなかった。
多過ぎる孤独は毒だった。
だけど適度な孤独は私が何者かを教えてくれた。
自分の声を聞きたいために選び取った孤独の中でまたブログを書いてて、また誰かの暖かさに帰れることは幸福だと思う。
グラブルいつまで続けようか?
最近話していないあの人もあの人も、もう話すことがないかもしれないあの人も、私は今も大好きだよ。
もらった優しさがいつまでも消えない。