グラブルしんどい
最初は軽い気持ちでなんとなく始めた。
グラブルを仕事のように毎日何時間もプレイするようになったのは、その時好きだった私より強い人に追いつきたかったから。
気がついたら追い越してしまった。
追い越したいわけではなかったと気づいた。
一緒に同じ目標に向かって心を熱くするその瞬間が好きだった。その瞬間にいたかった。
好きな人や好きな仲間と一緒のところへ行きたかった。一緒に遊びたかった。一緒に夢中になりたかった。一緒にお喋りしたかったし、笑いたかった。
そのためなら頑張れた。
お金はかからないけど、時間はかけれた。
努力すればみんなと一緒にいれるならそうした。
ここでは強いことが正義だ。
強さのための努力は称賛される。
ただゲームしているだけでも。
だからストイックに長時間プレイすることは正しい行いに思えた。
でもある程度強いところまで来ると、どこかで気づいていた。
強くなって称賛されても何にもならないこと。
残した成績は喜びではなく見栄にしかならないこと。
惰性と義務になった日課や努力を手放せば、多分もうプレイしなくなること。
私は純粋にこのゲームが好きなわけではなく、ただただみんなと一緒にいたくて、ただただ居場所が欲しかっただけということ。
でももう面白くない。
一人でプレイしてたらきっともう少し楽しい。
人と比べないから。自分のペースで強さを追求出来るから。
それに仲良くなった人たちの多くは時間と共に消えてしまうのは、リアルでもネットでも変わらない。
あの時あんなに優しくしてくれた人や、一緒にいて楽しかった人たちと、グラブルという共通言語を無くして繋がる方法を知らない。
居場所を失いたくないから、もう楽しくないグラブルをなかなか辞める決断が出来ない。