VCという欠けた伝達手段
団を辞めて時間は幾分か過ぎたのに
私はまだ団の呪縛に悩まされていて
それは今一番の悩みだった。
呪縛と愛は表裏一体だ。
団のことを愛さなければ、もっと無関心でいれば、こんなには苦しまなかったのも一理。
ただ今日、一つ気づいたことがある。
メガネやすみれやオレンジや柚子、色んな団員に避けられて、私は今や除け者である。
その元となった出来事、
柚子と話したかったのにメガネに奪われたこと、すみれと話したかったのにオレンジに奪われたこと。
それらが寂しかったこと。
メガネは柚子に尋常じゃなく執着したし、ウブなすみれは年上お姉さんのオレンジの虜になった。
その時私は団VCの会話の舞台から弾き落とされた。
夢中になってるメガネもすみれもその事に全く気付かず。
これがもし、みんなで直接会ってたら?
例えば8人の団員がそこにいて、2人が盛り上がって私が話に入れなくなったら?
じゃあ私はその2人のことは放ったらかして、別の人と話しただろう。それなら私は寂しい思いをしなかっただろう。
DiscordのVCは、5人10人15人そこにいようとも、話が同時に出来るのはせいぜい3人、それ以上同時に声を出すと誰が何を言ってるかわからなくなる。
VCとは会話の橋が一つしかないのだ。
例えそこに何人人がいようと、橋にいれるのは3人か2人。
別の人が、例えばメガネやすみれがその橋に強引に入ってきたら、定員オーバー、会話力の一番ない声の小さな私はあっという間に橋の下に突き落とされる。
橋の上にいる人たちそれぞれが、出来る限りその時VCにいるみんなと話そう、みんなで会話のボールを回そう、だから橋の上にいる権利は交代ごうたいに回そうとしていたら、また違ったけれど。
直接会って話してるなら、すぐ隣に別の橋が架かっているし、自分ですぐに誰かに向かって新たに橋を架けることもできる。VCは出来ない。橋下に落とされるだけ。
メガネとすみれは団内で最も話すことを辞めない、橋に絶対しがみつくタイプの人間だ。私が勝てるわけがない。
ただ、それだけのことかもしれない。
VCの仕組みの問題(それと、「沈黙に耐えられない強迫症」のメガネとすみれの心の問題)、ただ、それだけ。
私に、柚子にもすみれにも話してもらえないほど価値がないとか、そういう問題では全くないのでは。
ネットの発達でまるで遠くの人とも隣で話せているような錯覚に陥るが、実のところ全くそんなことはない、
電話やVCは直接会うことに比べ大きく「欠けた」伝達手段で、DMやLineなんかはさらに「欠けた」伝達手段で、
そんな欠けた欠陥伝達手段を用いて、直接会ってる時と同じようにコミニケーションを取ろうというのは多分相当乱暴だ。
他者と心の理解共感を図る手段としては、直接会うことに比べて遥かに劣る、仮のコミニケーション手段であることを忘れてはいけない気がする。
そう気がつくと、
ああ、私が価値の欠けた人間だから拗れたり避けられたりしたんじゃないんだなと思えて、なんだか楽になってきた。
欠けたコミニケーションツールVC
×感受性の過敏な私
=直接会って会話するより遥かに「寂しい」や「辛い」想いをする可能性が高い。
なら、どうするか?
棘の多めなコミニケーションツールは少し使用頻度を抑えるか、それか人の暖かさや常識や正義を期待するのを前もってやめておいてから使用するか、かな。